前回の続きになります。
なぜ僕が劇場を創りたいのか。
今回は、僕の人生を変えた恩師、東山悠司 (YU-JI) について書いていきます。
東山悠司(以後YU-JIさん)は、元々はダンスの先輩にあたります。
僕は若い時から自分の好きなダンスを自分なりに研究し、それが正しい!と考えていた頑固者でした。
それに加えお金がめっぽうなかったこともあり、ほとんどレッスンに通った事がなかったのですが、
人生で3人だけ、レッスンに通った事があります。
YU-JIさんも、その中の1人です。
(あとの2人は、FIREWORKSのO-HASHIさんと、BED4ORDの244くん!)
出会ったのは西葛西の駅前
まだダンスを始めて1年くらいの時でしょうか。
専門学校の通いつつダンスにのめり込んでいた時期ですね。
群馬から上京してきていた仲間がおりまして(以後ぐんまー)
彼は西葛西に住んでいました。
ぐんまーの家で、当時すごく流行っていたダンス番組、少年チャンプルの録画したVHSを見てからダンスの練習に行く、というのが僕たちの日課で、
ちょうどその時期にYU-JIさんは西葛西駅前でキレキレのブレイキンをしていたんです。
当時まだ1年ちょっとのダンス歴だった僕にとって、
YU-JIさんは神の様な存在に見えていました。(もちろん今も!)
少年チャンプルで見たどのダンスよりも迫力がありましたし、やっぱりリアルで見る高いレベルのダンスは、かっこよかったんです。
ぐんまーの家に行く前に、YU-JIさんを見かけては、目立たないちょっと離れた場所で見学。笑
見つけては遠くから見学。
当時は別次元のスキルを持ったYU-JIさん一派になかなか話しかける勇気が持てず、しばらく見ているだけしかできませんでした。(頑固)
それからしばらく、
西葛西にあるスポーツセンターでぐんまーと練習をしていた時のこと、
そこでもたまたまYU-JIさんと会います。
「たまにこの辺で練習してるよね?」
YU-JIさんから話しかけてくれました。。。!
初めて自分達だけで繋がった、
ダンサーのコミュニティができた瞬間でした。
しかし、YU-JIさんの周りには本当にレベルの高いダンサーばかりでしたし、
関係ができてからもなかなか絡むことができず、まだまだ自分たちで練習する日々が続きます。
それから学校も卒業し、ぐんまーも西葛西から離れ、
YU-JIさんを見かける機会がほとんどなくなりました。
しばらく1人でダンスを続ける日々がつづきます。
ここからが地獄の長い道のりでした。。。
数年後、本当にどうしようも無く、仲間も無く、孤独に続けることにも疲れた頃、
YU-JIさんに連絡をしました。
「一緒に練習をさせてください」
YU-JIさんは快く受け入れてくれました。
本格的に仲間として加入させていただけたのは、またそれからしばらく時間ががかかりましたが、初めてチームの一員として共にイベントに出演させていただけた時は物凄く嬉しかったです。
僕が無謀に主催するイベントにも出演して下さったり、時にはMCを引き受けて下さったこともありました。
一緒についていく、
そんな時期がしばらく続いた後、YU-JIさんから衝撃的な言葉を聞きます。。。
「会社をやることになったから、ダンスはもう、あまりやらないかも」
それはもう、めちゃくちゃショックでした。
しかし、それがTRIANGLE CONNECTIONという会社だったんです。
数年後、TRIANGLE CONNECTIONにスタジオができ(ARTRIZ)
会社として動き始めた頃、
僕はまたしばらく関わりがありませんでしたが、レッスンを1コマだけ頂く事ができました。
当時、数箇所でレッスンをやらせていただいておりましたが、その全てがYU-JIさんの紹介でした。
そんな関係が続き、
ある時、TRIANGLE CONNECTIONの創設者、吉野和剛(TAKA)をYU-JIさんに紹介してもらいます。
この出会いによって、
超孤独ダンサーだった僕の人生が、また大きく変わります。